亜矢子



アロマセラピー講師/ボイスヒーラー 
1965年生まれ。東京、神奈川出身。引っ越し回数多。鹿児島、福岡も少し住んだことがあります。
2017年から屋久島に在住。

転校生でした
小さい頃は転校を苦にしたことがなく、むしろわくわくしていました。
鹿児島、福岡では活発な子供で、東京、神奈川では内気でした。(今から考えると、自然の近くでは元気だったのかも)

30歳で転機を迎える
大学卒業後、経済バブルがはじける前で、エスカレーターに上るように就職。電気メーカーでプログラマーとして勤めていました。
仕事が合っているとは思えませんでしたが、何がやりたいかもわからず、けれどもストレスから体調を崩しがちでした。
30歳で父が亡くなった時、初めて買ったアロマのオレンジを嗅いで眠った翌朝、何か意識の変化が初めて起こりました。
そのことをきっかけに、アロマに興味をもち、また、「アロマセラピーでキャリアアップ」という本を見つけ、同じエンジニア出身のアロマの先生がいることを知り、「こんな経歴の人でもアロマの先生になれるんだ」と目から鱗た落ち、その先生の学校に通い始めました。

アロマの学校に通い始める・同時にレッスンを開くようになる
アロマの学校に通い始め、2回目の授業で感銘を受け、授業が終わったときに、先生に「先生、私会社辞めたくなりました」と伝える。(何のため笑?) その時先生が「友達集めてレッスンすればいいのよ。自分の勉強にもなるし。私も最初そうしたわよ。」とアドバイスを頂き、たまたまその話を伝えた人が、翌翌週に、10人集めてくださり、初めてのアロマレッスンを開催。それを機に、講座ができる機会を見つけては実践を重ねていきました。もちろん、アロマの学校にも平行して通い、会社員とアロマの勉強、講座開催の同時進行の日々を2年近く送りました。
精神的なことにも興味をもち、本を読み、父も魂としてどこかに居る、思いを持つようになりました。

初めてのセドナ旅行
会社員最後のGWに、アメリカのアリゾナ・セドナへのツアーに参加しました。
到着して早々「ここに住んでいたことがある」思いが湧きあがり、またツアー主催者、参加者共に、”チャネラー”のような人々ばかりで、
毎日それまで未体験ゾーンだった不思議なことの連続でした。
またたまたま開催されていたネィティブアメリカンのお祭りに行き、踊りに参加させてもらったとき、最初は”踊れない~”と思っていたのに、いざ踊りの輪に入っていくと、自然に身体が動き、ステップを踏み、”こうして踊っていたことがある”思いが湧いてきました。
この旅から帰り、会社を辞める決断ができました。

会社を辞め、アロマで活動を始めました
その後3年間、ヒーリング事務所に所属して、ここで自分の感覚・感性を引き出してもらい、
自身のアロマや、オリジナル体系を作ることができました。
様々なセラピー、ボディワークも受講し、アロマの香りへの実感も深まっていきました。

声の探求、そして、”自分の声に感動する”体験
また元々声が通らず、喉も弱かったのですが、アロマ講座で声が通らないことを通感し、通る声になりたい思いから、
ボイストレーニングに通い、次第に声は大きくなっていきました。

けれども「自分は何か違う声が出るはず」という思いが消えず、ボイトレも一度終了しました。
そして様々なボディワークや心理セラピーを体験し、心身が緩みつつ声が響くようになることを実感し、
自己流に歌い続ける数年のときを経て、

とあるボイストレーニングに行き始め、3回目のとき、「ずっと探していた声」に出会えたのです。
ずっと出したくて、出なかった声が、ついに出た、という実感がありました。
「これは、私の魂の声」と感じ、ひとり感動して涙しながら、カラオケボックスで3時間、歌い続けていました。

これは凄いことが起こっている、大きな癒しと感動と、皆にも体験してもらいたい、
その思いとそれまでの体験、また様々なセラピーを通し、心身緩み声が出るようになった体験から、
後にオリジナルの個人セッション、「ソウルボイスヒーリング」を開催するようになりました。

また以前から思っていた、「自然の中で歌いたい」を実践するようになり、近隣の公園や山から始まり、
何かその時、呼ばれる感覚や、”ここで歌いたい”強い感覚を折に触れて感じ、各地の自然を旅するようになりました。

あろまさろんをオープンしました
2002年、初めてあろまさろんをオープンしました。
一度は時代的に今ほどヒーリングがメジャーでない中で、ボイスヒーリングを封印し、
アロママッサージと講座を地道にやっていく思いでの始まりでしたが、

体調を崩したことをきっかけに、それまでのやり方を改めるべく、初の海外ひとり旅として、ニュージーを2週間、旅しました。
そのとき、森で感じるままに歌いました。
歌いながら、「次はセドナだ」と直観が湧いてきました。

セドナに通う
その後セドナを再訪。今度はツアーではなく自分で旅しました。
初めてセドナの山々にボイスヒーリングしたとき、エコーが山々に、そして自身の身体に響き、感動しました。

そして、現地でドラムヒーリングを受けたとき、身体の何かが目覚める、体験をしました。
ドラムヒーリングをボイスヒーリングに取り入れれば、個人セッションが完成すると思いました。

その後もセドナには定期的に通い、山々による癒しのエネルギーの違い、自身の状態やタイミングによって、”呼ばれる”山が変わること、
日々呼ばれる山に行き、ボイスヒーリングした時に起こる気づき、癒しを体感し続け、

意図はしっかり放ち、あとは天地に任せる、”呼ばれる”山に行き、ただただ癒しの山々にボイスヒーリングする、
そして自身のエネルギーが変化していく、それがおもしろくて仕方ありませんでした。

この頃屋久島にも通い、屋久島もセドナと同じように、”パワースポット”であることを確信していました。

ボイスヒーリング・個人セッションを始める
2004年から、”ひとりひとりのソウルの声を引出す”、ソウルボイスヒーリング個人セッションを始めました。
ひとりひとりのソウルの声、が出てくる瞬間は、本当に美しい、と感動します。
それはいわゆる声がきれいとか、音域がということではなく、”その人そのもの”の声(音)が出てくることに感動します。

この頃、カフェ、学校(成人学級)などで何度かグループ向けのボイスヒーリングも開催しましたが、
ひとりひとりの音を引出すお手伝いが先、という思いが出てきて、その後は個人セッションを長年行っていました。

また個人セッション開始後しばらくして、セドナや屋久島へのボイスヒーリングツアーを始めました。
自分が何度もセドナや屋久島に通い、ボイスヒーリングするのに最適な場所も開拓し、
また自分が癒され気づきを得た体験をシェアしたくなったのです。
一時セドナには住むように滞在していたこともあります。

2012年からは再び屋久島に通うようになり、2017年に移住しました。
島での暮らしは本当に豊かで、自然も人も、繋がりあって磨かれていっている実感があり、
ありがたく幸せなことだなーと日々感じています。



好きなこと
お仕事させてもらっている時間
お友達たちと語り合ったり、ご飯食べたりすること
自然のパワースポットを旅して歌うこと

略歴
・1965年 東京大田区で生まれる
・1988年 電気メーカーにプログラマーとして入社
・1995年 会社の友人のアロマグッズのプレゼントをきっかけに
      自らのストレスをアロマで癒すようになり、専門的に学ぶ
・1997年 セドナへ旅行。その後メーカーを退職。
       セドナ旅行のご縁でヒーリング事務所に所属。
       企業でアロマ講座を開催するようになる。
       ボイストレーニング、様々なボディワーク、心理セラピー
       を学びながら、アロマを深め、オリジナル講座を開催。
・2002年 世田谷にあろまさろんをオープン。
・2002年 カルチャーセンターでアロマ講座開始
・2003年 アリゾナ・セドナを再訪。ドラムヒーリングを学ぶ。
・2004年 ソウルボイスヒーリング個人セッションを開始。
・2005年 屋久島ボイスヒーリングリトリート、
       セドナボイスヒーリングリトリートを開始。
・2017年 屋久島に移住。サロンも移転。
・2019年 ニュージーランド・タカカでボイスヒーリングリトリート開催